航海士の台風に関する認識
(海王丸座礁の謎)

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2004年は非常に多くの台風が日本列島に来襲しましたが、その中でも台風23号は私にとって最も印象的だった。それは海王丸座礁の報と共に映し出された無惨な姿を目の当たりにして強い衝撃を受けたからです。
海王丸の喫水は遥かに満載喫水線を超え明らかに不自然だった。大波は高く襲いかかり、構造物に激突して飛沫が散っている。そしてデッキを通過した大量の海水は滝の如く反対舷に流れ出していく。ステイやロープは切れて垂れ下がり、ヤードは無気力に揺れていた。また、孔が開いた外板や割れたポールドからはゴボゴボと海水が出入して船内の様子が計り知れた。
座礁? えーらいことなっとうる。これって、みんな生きてるの?
次から次から最悪の状況が思い浮かびました。


平成16年10月20日午後10時50分ごろ、富山港の沖合いに避難停泊していた航海訓練所の練習帆船「海王丸」(2556トン、全長110メートル)が台風23号の強風で走錨し岩瀬漁港の防波堤に衝突、座礁した。

「台風による風とうねりが予想以上に強く、見込みが甘かった。練習船の使命を考えると遺憾である
翌日救助された航海士がインタビューに答えたコメントです。
<パニックっている?>

伏木海上保安部によると、20日正午頃、代理店を通じ「現在の位置は風向や風力から停泊位置として適していないから、安全な海域に移動するよう、船に指導してほしい」と海王丸に要請したという。しかし、海王丸は了解しながらもそのまま約7q沖合いの停泊地に留まっていた。そこで同日午後八時ごろ、今度は直接電話で十分注意する旨再び指導したとしている。
救助後、同保安部は「(事前に)七尾湾などに避難する手段もあったのではないか」との見解を示すと共に、「
高度な教育水準を持った人たちが乗り込んでおり、台風の勢力や船体能力などを総合的に判断して、避難場所を決められたと思う」とした。
<誉め殺し?>

海王丸船長が25日、高岡市のホテルニューオータニ高岡で事故後初めて会見し、判断ミスを認めた上で、「関係者の皆様に多大なご心配をかけて申し訳ありません」と謝罪した。また、「気象庁などの台風進路の予想から35〜40メートルの風は覚悟していたが、1時間くらいでやむと思った。もっと安全にウエートを置けばよかった」と後悔を口にした。
また富山港沖に停泊した理由を魚網がないこと、水深が深くないことなどとして、昨年も海王丸が停泊した実績を挙げ、「エンジンをフルに使えば、風速四十メートルでも耐えられると思った。風の強さが長く続いたことも予想外だった」と説明した。七尾港への避難をパイロットに忠告されたが「水路が狭く、船がいっぱいの場合にUターンできないと判断し現地に停泊したまま移動しなかった。」などとも語ったそうだ。
<なんか腑に落ちない?>

事故はスケジュールの都合などの間接的要因や、エンジンの出力不足などの直接的要因など、いくつもの要因が重なって起きるものですから一概には言えませんが、原因の中に
1.台風に対する認識の甘さ
2.土地の者の助言を蔑ろにしたツケ
の、2点が含まれるように思われます。しかしながら、最も恐ろしいことはこの裏に、過信・驕慢が見え隠れしていることではないでしょうか。
台風避難でのアンカーは航海士、機関士また部員の別なく必死であって、「見込みが甘かった、予想以上であった」などは論外です。スタンバイが解けるまで、
いかなる場合も最悪の状況を想定し安全対策を講じなければならない。
そこで、このページでは台風に関する航海士としての認識を、海王丸の事例もまみえながら少し説明してみます。

まずは台風の定義
1.熱帯低気圧のうち東経180度より西の北太平洋南西部で発生するもの
2.中心付近の最大風速が34ノット(17.2m/s)以上のもの
3.眼を持つ
4.前線を伴わない

気象庁の風力階級表(風力12までしかありません)によりますと、
風速17.2m/s(風力8)とは、陸上で小枝が折れ、風に向って歩けない状態。海上では大波のやや小さいもので長くなる。波頭の端が砕けて水煙となる。
風速28.5m/s(風力11)以上になると、陸上では広い範囲の破壊を伴う。海上では山のように高い大波(中小船舶は一時波の陰にかくれ見えなくなることもある)海面は風下に吹き流された長い白色の泡の塊で完全に覆われる。至る所で波頭の端が吹き飛ばされて、水煙となり視程は損なわれる。
と、なっていますので、海王丸が座礁した時の風速40m/sがいかに凄まじいものであったか想像できるのではないでしょうか。

台風の生涯は以下の4つの段階に区別される。
(これはその昔、二級海技士の国家試験によく出題されていた。)
発生期
5°N 〜 15°N 、130°E 〜 145°E 付近の赤道前線で大気の波動によって渦巻きが生じ、1日から数日で弱い渦または熱帯低気圧から台風に成長する。通例、風力は秒速30m以下で最も強いのは北東象限である。気圧は1000hpaで、一般的に低緯度になるほど中心示度が浅くても風力は大きい。早く発達する場合は12時間以内に目をもつことがある。

発達期
発生した熱帯低気圧の一部は消滅し、残った物が次第に発達しながら西〜西北西へ時速20〜30km程度で移動を続ける。この時期には進行方向と速度が安定しているが、中心示度は急速に下がる。(990hpa以下)中心付近の風速は35m、中心から40〜60kmの範囲では30m前後の暴風雨となることが多い。また雲と降水域が渦巻状に中心を取り囲こむ。一般にこの時期目をもつようになる。

最盛期
台風は赤道前線を離れ、シベリア気団と小笠原気団との間の前線帯に向かう。この前線帯は9月頃に南下して日本付近を走るようになるので、南西季節風気団と小笠原気団との間を通過してきた台風は次にこの前線に向かうのである。この点を転向点と言い、通常20°N 〜 30°N にある。転向点に近づくと速度が落ち、一時的に停滞して進路を北〜北東に変え、転向点を過ぎて偏西風帯に入ると速さを増す。台風はこの転向点付近で一番勢力が強く最盛期となる。中心示度はこれ以上下がらず最大風速も増さない。台風の直径は最も大きく風速30m以上の区域は中心から400kmに達することがある。
図1:台風の月別平均経路
中心は半径10km〜30km位の台風眼を持ち、その中心は風が弱く、雲も少ないが三角波が立つ。また、眼域内の天気は円対象になっており風は強いが雨域は狭い。しかし、地形の影響、前線の刺激などにより大雨を降らせることも多々ある。
 
衰弱期
台風は偏西風帯に入ると速度が急速に増大し、次第に衰弱しながら時速40〜60km位で北東に進む。この時期を衰弱期と呼ぶ。中心示度は徐々に高くなり対象性を失って温帯低気圧化し前線を伴うようになる。したがって暴風や降水域は進路右側の方に遠くまで広がる。
尚、台風が日本に来襲した場合にその中心が過ぎた後も風が強く吹くのは、台風の背後には大陸から高気圧が東に張り出し、日本上空の気圧傾度が急になるためである。

台風の進路予想は
1.台風の経路は平均して季節毎に特徴があるので、台風の現在における中心位置から平均経路を比較して、ある程度の進路を予測できる。(図1参照)
2.台風は一般流(貿易風・偏西風)より10〜15度の北分をもって進む。
3.台風は気圧降下の大きい地域に進む傾向がある。
4.一般的に低緯度では貿易風に乗って West→WNW→NW に進み、高緯度では上空の偏西風に乗って進む。つまり、西進中の台風は上層における偏西風のトラフが来ると、これに影響されて転向する。
5.高気圧を右に見て放物線に似た形で進む場合が多い。(高気圧からの吹き出しが台風を発達させるため。)すなわち小笠原高気圧が北側を抑えていればそのまま大陸に向かうが、この高気圧の切れ目に出会うと、North→NE に転向し、小笠原気団とシベリア気団の間にできる低圧部の「気圧の谷」や「前線帯」に沿って進む。
6.補足:バイスバロットの法則(北半球における低気圧の中心は風を背にして左手を斜め前方に伸ばした方向にある)

参考
トラフ
偏西風帯が南北に湾曲した波動のうち、この波の南の谷側を「トラフ」(上層の気圧の谷)、北の峰側を「リッジ」(上層の気圧の尾根)と呼びます。
気圧の谷
低気圧の中心から細長く伸びた低圧部。

前線
発生地が違う性格の異なった(例えば温度差など)気団の境界。


台風に備える
一般流と逆向きの風が吹く左半円の方が相殺されて風が弱く、右側は一般流との和となるため風が強いと言われるためか、一般的に左半円が可航半円(または避航半円)と呼ばれるが、それは右半円が危険半円と言われることに対するのみの呼称に近いと考えた方がよい。要するに、不幸にも航行上二者択一に及んだ場合の苦渋の選択肢であって、積極的航行区域ではないということです。ましてや停泊時における台風通過が左半円だからと安易に考えることができるとするものではない。停泊地の地形や独特の理由により左半円になった方が風:雨・波の強くなる場合もある。だから台風の右だろうが左だろうが危険なのです。とにかく影響のない程度中心から出来る限り遠く離れて風上に立て、うねりは船首斜めに受けて航行する事が鉄則だ。無理して中心に近寄る必要はない。
錨泊時は、どちらが可航半円かなどを議論するよりも、むしろその理由とされる左半円と右半円の風向きの違いに注目すべきである。(左図参照)アンカーして左半円にいる場合、風は台風の接近から通過に至るまで北東→北→北西→西と変化し、船は錨を中心に左回りする。右半円にいる場合の風の変化は東→南→西で、船は錨を中心に右回りする。したがって、左半円においてアンカーする場合には右舷錨をメイン(錨鎖長く:8節以上)とし左舷側を振れ止め(錨鎖短い:4節以上)とすればファウル(もつれる)することは少ない。右半円の場合はこの逆で左舷錨をメインにすべきである。また、台風通過直後は左右半円の別なく西風になるのだが、通過以前の風速に増してより強い風がしばらく吹きつけることも往々にしてあるので予断を許さない。
図2:台風接近による錨泊船の位置変化(イメージ)
赤線は錨鎖方向、緑は停泊船舶

台風23号の日本列島横断を左図に示した。台風は半日前に予想されたコースをほば予想された速度及び強度で通過した。
同時にそれは図2の相関図に示した通り、ほぼセオリー通りに風が吹き、そして海王丸の位置もそれに対応し変化していったと考えられる。
なぜなら、海王丸が座礁したのは午後10時50分頃で、台風の位置は左図の赤丸間である。さらに陸岸が海の南にあるのだから、この場合に海王丸は、まぎれもなく 北〜北西の風を受けつつ走錨したと言えるからである。
何が
予想外だったのか不可解だ?

台風のポジション
10/20/2100 35.6N 136.8E
10/21/0000 35.8N 138.5E

図3:台風23号の日本列島通過経路
※印は海王丸の位置

あの超大型台風に対し海王丸が富山湾を錨地として選んだのも謎(船長の話によると魚網がない、水深が深くないことを挙げたそうだが、それは平常時に満足できる選定であろう・・・他に真意がなかったのか?)だが、船乗りが考えるであろう一般的なことに言及すれば、富山湾がよくひけるというのは耳にする話だ。たしか底質は泥・砂だったはずだが、海図で示されているものより悪い(ヘドロが多いのか?)のだろう。特に冬は西風も強く走錨しやすい。したがって、富山湾でアンカーする場合は平常時でも他港より多めに錨鎖を伸出させなければならず、台風避難には尚更細心の注意が必要になってくる。海王丸は風圧抵抗が大きいわりに機関出力が小さく(海王丸は3000馬力。これは700トン級のフェリーボートと同等)、緊急時に機関を使用して風に立てることが期待薄であることから、大型台風に対する錨地として、どちらかと言えば不向きであると言える。

単錨泊中に走錨した場合には、他方をすぐレッコしてかかせることも可能だが、台風の場合は双錨泊が一般的であるから、そうも簡単にいかない。どうしても早期発見早期対処が必要となってくる。風速25m/sになると船は相当大きく振れまわり、錨は走錨しやすくなっているだろうから、ひける前余裕がある時期(台風通過後少しおさまった時の西風が強くなる前など)に再びアンカーを打ちなおす(振れ止め側を巻上げメインにし、メイン側を振れ止めに代える)のも一つの手段だ。また、船にもよるが40m/sで振れ回りは90〜100度にも達する。こうなればいつひけてもおかしくない。逆にひけないのが不思議だと考えて備え行動するほうが無難だ。エンジンを併用しこれに対応する。通常はDead Slow 〜 Slow で足りるが
Half までも使用するに至った場合は相当危険な状況下に達していると判断したほうがよい。
中央辺りのピンホールがわかりますか?
スタッドを貫通してピンが入っています。反対側からピンを叩くとピンが抜けて、ケンターシャックルは2つに割れます。
コモンリンク ケンターシャックル ケンターシャックル(縦から)

走錨し、それを巻き上げて打ちなおす時間がない切迫時には、チェーンを切り外洋に避航させることもある。と言っても鉄鋸でギーコギーコやるのではない。錨鎖にストッパーをつけ、ウィンドラスをウォークバックして錨鎖を弛ませ、ケンターシャックルのピンを抜いてこれを行うのだが、ボースンがやれば簡単に外れる。しかしながら風浪激しいフォクスルでこれを行うのは並大抵のことではない。ましてや風速40m/sでの状況下で乗組員にこれを命ずる船長は明らかに殺意があるとしか思えない。したがって、風速40m/sで走錨し、機関が風浪に対処できない場合はもう手の打ちようが無い。お陀仏さんでございます。せいぜい金毘羅さんを拝むぐらいだろう。そうなる前になんとかしなければならない。
なにがいいたいかと言えば、風速40m/sが予想される場合であって、しかも走錨と機関出力の不安(海王丸のエンジン故障は、スクリューがボトムタッチしたことによる二次的アクシデント)が少しでも頭を過ぎるなら、早くから外洋に出て暴風圏外へ避難すべきであるということです。
つまり海王丸はあの日、保安部からの通達があった時点で七尾湾に移動し、そこがいっぱいでアンカーできなかった場合は富山湾に戻るのではなく速やかに日本海をめざし、その後N〜Wのコースに向けた方が良かったのではないかと思慮致します。

通常船では 「見込みが甘い」と直接死に結びつきます。ヨットも小型鋼船も大型船も区別はありません。これは当たり前のことです。
今回は大事故にもかかわらず死亡者が出なかったのは本当に不幸中の幸いであったが、これは偶然に過ぎず、どちらかと言えば奇跡である。防波堤がない違う場所に衝突座礁していたら、転覆につながった可能性が大きい。そうなれば・・・・、考えただけでもぞっとする。

明治29年に制定された
船舶職員法により甲種商船学校航海科卒業生が甲種二等運転士免状の受験資格を得る為に一定期間、西欧型横帆装置の帆船にて実習する事が必須条件とされた時代もあったが、現在そのような法律は無い。にもかかわらず、「自然を身近に感じられる帆船は船の原点と言え、近代における船員の高等教育を行うについても必要不可欠である」と、帆船実習の重要性を声高らかに唱え、商船学生の削減が叫ばれている中に航海訓練所は無理矢理2隻の帆船を作らせたが、その最たる者であるはずのプロの帆船乗りが台風23号において大事故を起こしたのである。したがって、その必要性を論じた口上が謀らずも”絵に書いた餅”だったことを露呈させてしまったことに通ずる。(もとより帆船教育を受けなくても立派な船員はたくさんいるが・・・)
私は、事故を起こした当人達の責任問題に全く興味がない。ただ、上記のようなことから、今後帆船教育の是非が問われざるを得なくなったことは非常に残念でならない。

最後になりましたが、危険をかえりみず勇気をもって海王丸の救助に当たられた方々に心より敬意を表します。ご苦労様でした。

参考までに
港では台風に備える場合、警戒体制や避難体制を整えるため、原則的に船長はこれにしたがわなければなりません。因みに大阪港では「大阪港海難防止対策委員会」が大阪港長及び阪南港長に具申すると共に各船に報せます。
措置区分 台風の状況 措置内容
警戒体制 台風が大阪湾に接近するおそれがあると判断された場合 1気象情報を収集し、台風の動向に留意すること
2.乗組員を召集して荒天準備をなし、機関準備など必要に応じ運航できる体制とすること。
第一避難体制 港が台風の暴風警戒域にはいるおそれがあると判断された場合 1)次の船舶は原則として港外に退避すること。
(1)大阪区は1万総トン以上の船舶。
(2)堺泉北港では3万総トン以上の船舶。
2)工事作業船は作業等を中止し安全な名場所に避難すること。
3)小型船舶は避泊場所を選定し、時機を失することのないよう避泊を開始すること。
4)1000総トン以上の大型船(フェリー等を除く)は原則として入港を見合わせること。
第二避難体制 港が台風の暴風警戒域にはいるおそれが必至と判断された場合、または重大な影響をうけると判断された場合 1)1000総トン以上の大型船は原則として港外に避難し、保船等万全の措置をとること。
2)小型船舶は河川、運河等安全な場所に避難し、厳重な警戒措置をとること。

作者著書
補足:航海訓練所練習船の怪