Father's Way
叩き上げで、40年船に乗った父の写真

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第一星宝丸(内航・タンカー)

父は中学を卒業し、小さな船の炊夫(かしき・メシ炊き)から船乗り生活を始めましました。

昭和33年のことでした。

   
船室

船が小さいから部員は複数人部屋です。

右側がボンク(ベッド)ですが、上下共乗組員の服でいっぱいです。

   
第12星宝丸

セーラー仲間達とブリッジ前にて撮影。昔は船にたくさんの人が乗っていました。

   
第16星宝丸

船もだいぶ大きくなりましたし、本人も船乗りらしくなってきました・・・?

この後、

乙種二等航海士

乙種一等航海士

乙種船長

を取得していきます。

   
三泰丸(東南アジア・タンカー)

昭和43年頃

インドネシアを拠点にシンガポール、フィリピン、香港などを航海しました。

当時は免状を取得すると、どこで調べてくるのか、船会社からの誘いが引く手数多(あまた)だったそうです。それで、父も免状のクラスが上がるたびに、給料の少しでもいいとこ、またいいとこへと会社を代え、転船していきました。

   
三泰丸

一等航海士をしています。が、ポーズは昔から変っていません。なぜでしょ?

後ろに映る船体が汚いですね。乗組員はたくさんいたのですが、オーナーがペンキを補給してくれなかったそうです。

   
セントラルフェリー(神戸〜東京)

第六セントラル(G/W 6,153t)

昭和46年頃、神戸〜川崎航路のフェリーがありました。

わずか1年半で潰れました。

潰れるはずです。東名・名神高速が完成していたのですから・・・。

   
第三セントラル

航海士時代

隣にいらっしゃるのは、歌手の松山けいこさん。

就航記念パーティーに出席されていたそうです。

ちなみに、父は松山けいこさんの大ファンで、大喜です。

船長になりました。

甲子園フェリー(西宮〜津名)のブリッジで操船をしています。

 

万田久子さん(甲子園フェリー、オーナーズルームにて)

乗船中にロケがあったそうです。

左が万田久子さん、右は三浦友和さんです。

万田久子さんは、ほんまに綺麗な人だと言って、かなり喜んでいました。万田久子様ありがとうございました。

長く船に乗っていると色々なことがあるもんですね。

 

引退

1998年8月31日甲子園フェリーの

航路廃止に伴い、父は40年に及ぶ

長い船乗り生活にピリオドを打ちま

した。

ご苦労様でした。