Captains Duties
船長は船と運命をともにするか?

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映画やテレビなどでは、不幸にも船の沈没を免れないと悟った船長が一人自室に篭るシーンや、操舵器に体を縛り付け退船指揮をとりつつ船もろとも海中に没する壮絶なシーンを描いたりしますけれど、実際のところ、船長は船と運命を共にするのでしょうか?

戦時中の艦船においての沈没の際、艦長及び航海長などが自決というべき、そういった悲惨な行為をしていたことはよく知られています。責任を果たす。義務を全うする。世間体に恥じない。プライドを保つ。様々な理由が折り重なって苦渋の決断をされるのでしょう。
海軍においては崇高な最期として当然の如く慣習化していたのかもしれません。
しかしながら、商船でも船長の殉職は過去に多くありました。
昭和20年 播但汽船「せきれい丸」(304名死亡:筆者親類も没)船長は救助拒否殉職
昭和30年 宇高連絡船「紫雲丸」船長は最期まで船橋で退船指揮をとり殉職。
昭和45年 北海道の石炭運搬船「波島丸」船長退避拒否殉職。
昭和45年 野島埼沖200マイル 鉱石船「かりふぉるにあ丸」船長退避拒否殉職。
などが有名です。(但し、これは氷山の一角)

これらは勿論、海軍同様の理由によるところもあるでしょうが、法律の呪縛によるところもなかったと言えません。当時は船員法(旧)第12条により「船長の最後退船義務」が課せられ、また刑法では
(緊急避難)第37条 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
 前項の規定は、・・・・・



かと思えば一方、世界にはこんなバカ船長もいます。
ギリシャ船籍のクルーズ客船オセアノス号は乗員乗客約600名を乗せ、南アフリカのケープタウンを出港しダーバンを目指していましたが、1991年8月4日早朝、折からの時化により浸水、数時間後沿岸から3マイルのところで沈没しました。このときには南アフリカ空軍のヘリコプター16機が救助に当たったのですが、船長は乗客の女、子供、老人を差し置いて、真っ先にヘリコプターへ乗り込み船を立ち去っています。この行動は当然その後物議をかもしました。
記者たちは ”船長が退避した後、部下である乗組員たちが救難・退避指揮を行っていたこと”や”責任問題”について質問・追求しましたが
「残りたいものが残ればいいじゃないか! 俺は危ないから逃げた。当然だ。なんとでも言ってくれ。」
「沈没しつつある船上より、沿岸から指揮をとる方がよいと思った。」
など、逃げた船長はこの種のことを平然と言ってのけました。陳謝もありません。言語道断、船乗りの風上にも置けない男と言って過言ではないでしょう。
命を決して無闇に捨ててはなりません。しかし、乗客・乗員を誘導し、速やかに退避させる事は船員・船長の常務、責任です。従ってそれには最善を尽くさなければなりません。

昭和45年、船長協会の要望により船員法(旧)12条は改正削除されましたし、教育も改善されましたので、これ以降 ”船長が船と運命を共にする” などの殉職は私の記憶する限り無いように思います。
また船が沈没するについては今後に役立てる為、その原因究明が最も重要であり不可欠だと考えられています。ですから必然的に船長は生き延び、海難審判でそれらを明らかにしなければなりません。これが船長の責任を全うするということであって、死ぬことがそれに代わるものではないというのが、現代の風潮です。

ちなみに私は学生時代ある教官に「なにがあっても生き残れ。どうしても死にたい奴は海難審判が終った後に一人で死ね」と教えられた記憶があります。この後半部分はさておき、百歩譲って”船と運命を共にする”その本人はそれでいいかも知れませんが、同乗していた者は”船長を見捨てた”などの怠情を抱き続けなければなりませんし、家族の感情も蔑ろにはできません。こういった観点からみても船長とは言え、職務を全うしつつも、やはり最後の最後まで生には執着しなければならないと、私は思います。

なにもこのようなことは海上だけではありません。陸上でも会社を倒産させた社長などが責任をとって自殺したりしますね。やはり上に立つということは本当に大変なのでしょうが、陸海分け隔てなく生命は貴重です。大切にして下さい。

追記:(2015年)
私も学生の頃から長い間、船客や部下の船員を置いて真っ先に逃げる日本人船長などはいないと思っていました。しかし、東京へ11年いて、そちらでも何人もの船長あがりという方々と接する機会を得まして、私の日本人船長に対する考えは全く変わりました。
東京の船長は薄情というか、責任逃れが得意というか、事が起こっても決して矢面に立たない。そんな印象を拭えなくなった。保身的かつ自己愛に満ち溢れている人も少なからずいる。部下にやっかいな仕事を押し付け、自分は逃げ道を作って波風立たない安全なところにいやがる。
平気で部下を見捨てるこういった男は、日本人船長であろうと「船と共に運命を・・・」どころか、・・・・





追記2
あれは内航船に乗っているとき。足摺にほど近いところ出身で、三級免状をもってはいるが内航くらいでしか通用しない学識不十分な二流船長だった。そのくせ説教好きで、たびたび酒宴を催して船内の和などを語る悪い癖があった。この船長は、食の好き嫌いがかなり激しく、せっかく司厨師が作った食事もほとんど毎日全部ギャベジバケツにレッコする。刺身か和食以外食えない所謂偏食家である。(ここまで説明してわかる者にはわかるが、商船学校卒ではまず考えられない。全寮制でこんなわがまましてたら栄養失調で死ぬ。) 
船長には乗組員の健康を管理する義務がある。食はその大切な基本要素だ。厨司部がどんな味でいかなる物を乗組員に提供しているか、船長は身をもって食しそれを評価しなければならない。これも一つの大切な仕事であって、船長資質とも言える。
一つや二つ食えないものは仕方ないが、この船長は未だ司厨師がギャレイで仕事しているにもかかわらず、横でラーメンを作り、あるいは焼き飯を作りして食う。なにが船内融和か?司厨師がどんな気持ちであったか? 船長だからといって何をやっても許されるものではない。「よくやるぜ」と見下げたものだ。家で奥さんが作ったものを毎回捨てて、自分で料理を始めたらどんなことになる? 63歳にもなって常識のない男。
船長なら、出されたもんは黙って食え! 
と、私は思っていた。
(昔々、司厨師に殺された船長がいた。ベットで寝ている船長を刺身包丁で一刺しだった・・・・





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